那須岳の古山道を行く

那須について書かれた古書に那須岳の尾根『千年グネ』についての記述があり、その名に興味を持ち、添付されていた絵図を参考に探索に出かけました。

(クネには山の根元といふほどの意味があるともいふ)とあります。

那須高原ビジターセンターから見た那須岳連山、左から黒尾谷岳、千年グネ尾根にある笄ヶ崎(カンザシ山)、茶臼岳(御耳山)左右に小さく耳があります。

海でもないのに笄ヶ埼(こうがいがさき)とはこれ如何に?

アップするとその威容が迫りますます行きたくなります。

上の南月山から見た笄ヶ埼です。この尾根『千年グネ』は古書では登りには不適当と書かれていたので、南月山から山道を下がってみました。ところが黒尾谷岳への道を分ける地点から真っ直ぐ行くのだが、低木の密藪と地竹藪でとても行けそうにない、道筋の痕跡は全く無いのです。

やはり登山の常道は登りにありと考え、登山起点を探します。

北西方向から見た千年グネ。いろいろ登りのアクセス方向を検討します。

南東方向から見た千年グネと笄ヶ埼、さてどこから登るのだろう?

国土地理院の2万5千分の1の地図を良く見れば千年グネの幅広い裾野に旧林道と思われる線があり、ここに取付きがあると推定し早速この林道跡を探しに行きました。

しばらく行くと木橋があり脇の木にピンクのテープが巻いてある、この後に踏跡があるのを発見。急登し道なりに北へ行くと右下の高雄股川へ下がる巡視路を分ける。

ここからの直登が千年グネ⇒笄ヶ埼(カンザシ山)へ続くと見当をつけ地竹を掻き分け登山を開始。きつい登りを耐えながら行けば平で不思議な広がりの空間に出る。

何だか住んでみたい雰囲気です。少し休憩  "いいねぇ ここは”

これから先は波状5回位の地竹の藪コギ、山道踏跡は見つかりません。帰路を確実にするため木綿の赤布をポイント、ポイントに巻いていきます(木綿は朽ちて泥になるので使用)先を行けば尾根筋が狭まり笄ヶ埼と思しき大岩の露出する場所に着きました。

方向も定まりやっと安心・・・ここからが大変、高さ3mあろうか地竹が密生、藪コギなんてもんじゃない、とても立って進めない、這って掻き分けながらとなり体力も精神も低下、とても進めないのでルートを替えます。南側は櫃沢(ヒツザワ)が垂直に落ちているので北の灌木帯に行けど、これもシャクナゲツツジなどが絡み進路を阻みます。

やっと抜け南月山への山道に出ました。

” 何と山道は楽なのか、立って歩ける ” 実感です。

古書の登山行程所要時間表ではここまでは2時間となっていますが今回は4時間10分かかりました。

笄ヶ埼の西のピークにそそり立つ巨岩。この地は何万年か前に噴火した爆裂火口跡。

烏帽子岩とでも名付けましょうか。右は黒尾谷岳です。

下山の途中から見た『烏帽子岩

今回で那須地人会の那須岳謎解き探索はいったん閉めます。今夏の暑い時期は沢筋の探索を行い川に真っ逆さまに転落したり、岩にぶつかりタン瘤を作ったり、唇、足、腕を切ったりでしたが古書から計画した山域には全て行けました。

そろそろ那須のお山は雪化粧の時期を迎えます。それでは