
九尾の狐《天狗殿、よくぞ虻を退治してくれたのう、わしはブンブン飛ぶ虻が大嫌いな
のじゃ》
天狗《ははぁ》
九尾の狐《何ぞ褒美を取らすぞ、言うてみい》
今の時期、那須山にはアブが沢山飛んでいて騒がしいのです。飯盛アブなど有名なのがいます。

九尾の狐《天狗殿、よくぞ虻を退治してくれたのう、わしはブンブン飛ぶ虻が大嫌いな
のじゃ》
天狗《ははぁ》
九尾の狐《何ぞ褒美を取らすぞ、言うてみい》
今の時期、那須山にはアブが沢山飛んでいて騒がしいのです。飯盛アブなど有名なのがいます。
那須地人会ではかねてより那須の山岳に遺る古道を巡ってみたいと思ってきました。
今回は那須岳山岳信仰・高湯山の行道探索を地元の方と行いました。
那須岳の中腹にある那須温泉神社社殿脇を出発地とする行道は登山道と重なりながら緩やかな登りを続け途中大きな高湯山碑を過ぎるとやがてヨシヤヂ(湿地帯)に着きます。ここで大丸と中枝埼への道を分け、行道は前方急こう配の大笹藪地帯を直登となりますがどこが登り口が全く分かりません。旧行道の方向から場所を推測し藪に突入、獣道みたいのを辿り20分くらい登れば大岩が現れお地蔵さまが穏やかなお顔で立っておられました。ずっと長い年月私たちが来るのを待っていて頂いたのだと感じました。

登り口、取付き地。

前方に大きな岩が現れ、地蔵尊が立っておられた。

何ともありがたいお姿です。少し朱色の彩色がされています。

地蔵尊後ろのお姿です。
先人の信仰の強さを感じると共にこの行道の復興を望んでやみません。
200年以上続いた黒瀧山の山岳信仰は現在登拝する人もなくなりました、記録では平成7年6月28日で途絶えています。
那須地人会ではこの歴史ある信仰登山の復活を願い7月16日地元の人3人と第24札所(黒嶽権現・四天王)にある石の祠の隣に石碑(重さ8.7キロ)を建てるべく登ってきました。この重い荷を背負ったのは山のベテラン超人的な力量を持った人です。当方はお供えするお札、米、酒、塩、そして案内板ほか、8キロ重です。
御山沢を登る正式の行道は、これも途絶えて久しく、崩壊していて危険なので今回は行者が下りに使った鴫内尾根を登りました。最後のピーク剣先(1,723m)から先は途中から身の丈以上の大笹がビッシリと茂り搔き分けて進むのにかなり体力を消耗しました。
踏み跡もなく、これ以上進むと下山の時間が無くなるので第24番札所の確認は諦め、担いできた石碑を太い木の根元に仮置きし幹に目印のリボンを巻き付け設置は次回登山に託しました。

今回の登り:8時間30分、下り:5時間25分。合計13時間55分
黒瀧権現 信仰登山復活の強い願いがこの石碑運搬登山を無事に成し遂げることが出来たのだと思います。
那須山の古い名を調べに黒羽藩の城跡にある大田原市黒羽芭蕉館へ行き学芸員の方から『創垂可継』の(封域郷村)欄を紹介してもらいました。

隣接する大雄寺、国の重要文化財指定の茅葺(かやぶき)伽藍で総門と回廊は現在葺き替え修理中です。工事費1億4千万円は国が7割です。

見事に気持ち良く仕上がった回廊の屋根。

内部から見上げる、なかなかの見ごたえです。

黒羽藩大関氏代々の墓地。殿様は死んでも偉いのです。

十一代藩主、大関増業(ますなり)の編著の一つ『創垂可継』、これは公刊された柏書房の本。
この本で黒羽藩領地であった那須山を調べたが略図はあるが詳しい山名地図は載っていません。多分御領地(天領)であったせいでしょうか。
那須の山岳信仰は高湯山信仰、白湯山信仰そして黒瀧山信仰などがあったようですが、 現在、行者による登拝は廃れてしまいました。
特に黒瀧山の札所を巡る行道は厳しく危険なため地元の人も登らなくなりました。
若いころ登った人の話を聞くと登拝の記憶は強く残っていて、単に懐かしさだけでなく黒瀧山『黒瀧権現』に尊厳の念を感ずるようです。

二百年以上も続いたこの『黒瀧山信仰』途絶えさせてなるものか、先人の思いに敬意を表し山頂の祠の脇に石碑を建てるべく計画しています。
那須山の古道巡りは次の準備段階です。今回は・・・
先月の24日、宇都宮・ロマンチック村で旧車(オートバイ)の集い『パイオニアラン ジャパン』がありました。

この錆びた鉄くず?を見よ。『陸王』というオートバイの復元前のエンジンです。

5年かけて復元した旧車,側車付き『陸王』です。作業を行ったオーナーの情熱に乾杯。

これは『キャブトン』国産です。写真でしか見たことなく、排気音も軽快で感激しました。京都からの参加です。

オートバイは87歳、またがる御仁は〇〇歳。何とも頼もしい光景です。
栃木県には旧車マニアが多いと感じました。

と言うことで栃木古のロマンに乾杯します。
お酒は地元、那須塩原市高林の熊久保酒店で買った『殺生石』です。
栃木県黒磯町の西方に連なる山域に山岳信仰の山『黒瀧山』があり、黒瀧権現を祀った祠があるそうです。参拝のため黒瀧山に登りましたが山頂に祠は見当たりません。
山のベテランの方に聞けば山頂から谷を越えた南の尾根にあるとのこと。
何故、祠は別の場所にあるか謎です。 ” 古い地図では黒瀧山の位置が現在の地図より南に記されているので間違って認識していたのではないか ”・・・それで、明治42年の測図で確認すれば確かにずれて記されています。現在の地図と比べるとこの地点は『剣先』です。古地図を見た行者がここが黒瀧山と間違いそうです。しかしこの山頂にも第24番札所はありません。祠はここより少し登った西村山に向かう尾根筋にあり何故高い山頂に祠がないのか、また謎なのです。

秘・参謀部とある1/5万の古地図。黒瀧山の位置が異なります。

これは現代、国土地理院の地図です。
謎解きに『大田原市黒羽芭蕉の館』に行き調べる必要がありそうです。