那須・青木夏祭り

昨日、那須塩原市・青木小学校校庭で恒例の夏祭りが行われ盆踊りと屋台で夏の宵を楽しみました。時折雨が降りましたが、盆踊りの時には天気は回復し無事終了しました。スタッフの皆さん他の方々に感謝いたします。

那須地人会は九尾狐型・紙ヒコーキで参加。

はがきサイズに印刷された九尾狐をハサミで切り出し、ホッチキスで留め形を整えますます。後は調整しゴムで飛ばします。

お父さん、お母さんに手伝ってもらい子供たちは紙飛行機を作ります。

今回は地元のばあ様が記憶を頼りに作ってくれた『蛍かご』も展示。

長らく途絶えていた『蛍かご』を再現して頂きました。

麦わらは6月で刈り取られ無いので、ドライフラワーを使用。わらが硬くて本来の形と少し違います。蛍も時期が遅くいないのでLED点滅ライトを中に入れて使用しました。

青木周三さんがつくった青木小学校には『キャンプ場』もあります。

那須からの特攻出撃

81年前の8月13日、ここ那須にあった陸軍飛行場から日本陸軍最後の特別攻撃隊が飛び立ちました。鹿島灘沖に迫った敵艦に突撃し三名の若い特攻士が亡くなっています。

飛行場跡に立つ記念碑。81年前も今日と同じ大雨の天気であれば特攻作戦は中止され、15日の終戦を迎え状況は変わっていたことでしょう。

81年前の突撃時刻と同じ 18:30 、亡くなった三名の隊員のご冥福を祈り、地元の酒と線香を供え手を合わせてきました。

 

  ”それにしても、毎年誰もお参りに来ないんだよなぁ”

 

≪ われ突入す! ≫

16:30 《小川編隊ただいま突入》

銚子の海軍無線傍受基地よりモールス信号を傍受したとの報告が那須の戦闘指揮所にきた(那須の太平洋戦争・北那須郷土研究会編より)

この突撃の打電をしたのは昭和20年8月13日、当時の陸軍那須野飛行場から出撃した特別攻撃隊『神鷲201隊』、三名の若い隊員が亡くなっています。

 

81年前の那須野飛行場。

あと数時間で尽きる若い特攻隊員の命。二日後の15日は戦争の終わった日、出撃があと二日遅れていたらと思わずにはいられません。

大岡昇平さんの解説には『何時間かの後に、確実な死を控えた特攻士の、緊張と虚脱が入れまじった生々しい表情である』とあります。

 

来週8月13日、那須野飛行場跡にある記念の石碑にお酒と線香を供え手を合わせてきます。

*写真が赤茶色なのは国立国会図書館から取り寄せる際、カラーで頼んだからです。

  (原版はモノクロか)




 

那須・殺生石劇場

九尾の狐《天狗殿、よくぞ虻を退治してくれたのう、わしはブンブン飛ぶ虻が大嫌いな 

     のじゃ》

天狗《ははぁ》

九尾の狐《何ぞ褒美を取らすぞ、言うてみい》

 

今の時期、那須山にはアブが沢山飛んでいて騒がしいのです。飯盛アブなど有名なのがいます。

 

那須岳・高湯山行道探索

那須地人会ではかねてより那須の山岳に遺る古道を巡ってみたいと思ってきました。

今回は那須岳山岳信仰・高湯山の行道探索を地元の方と行いました。

那須岳の中腹にある那須温泉神社社殿脇を出発地とする行道は登山道と重なりながら緩やかな登りを続け途中大きな高湯山碑を過ぎるとやがてヨシヤヂ(湿地帯)に着きます。ここで大丸と中枝埼への道を分け、行道は前方急こう配の大笹藪地帯を直登となりますがどこが登り口が全く分かりません。旧行道の方向から場所を推測し藪に突入、獣道みたいのを辿り20分くらい登れば大岩が現れお地蔵さまが穏やかなお顔で立っておられました。ずっと長い年月私たちが来るのを待っていて頂いたのだと感じました。

登り口、取付き地。

前方に大きな岩が現れ、地蔵尊が立っておられた。

何ともありがたいお姿です。少し朱色の彩色がされています。

地蔵尊後ろのお姿です。

先人の信仰の強さを感じると共にこの行道の復興を望んでやみません。

 

黒瀧権現 信仰登山の復興

200年以上続いた黒瀧山の山岳信仰は現在登拝する人もなくなりました、記録では平成7年6月28日で途絶えています。

那須地人会ではこの歴史ある信仰登山の復活を願い7月16日地元の人3人と第24札所(黒嶽権現・四天王)にある石の祠の隣に石碑(重さ8.7キロ)を建てるべく登ってきました。この重い荷を背負ったのは山のベテラン超人的な力量を持った人です。当方はお供えするお札、米、酒、塩、そして案内板ほか、8キロ重です。

御山沢を登る正式の行道は、これも途絶えて久しく、崩壊していて危険なので今回は行者が下りに使った鴫内尾根を登りました。最後のピーク剣先(1,723m)から先は途中から身の丈以上の大笹がビッシリと茂り搔き分けて進むのにかなり体力を消耗しました。

踏み跡もなく、これ以上進むと下山の時間が無くなるので第24番札所の確認は諦め、担いできた石碑を太い木の根元に仮置きし幹に目印のリボンを巻き付け設置は次回登山に託しました。

今回の登り:8時間30分、下り:5時間25分。合計13時間55分

黒瀧権現 信仰登山復活の強い願いがこの石碑運搬登山を無事に成し遂げることが出来たのだと思います。

那須山

那須山の古い名を調べに黒羽藩の城跡にある大田原市黒羽芭蕉館へ行き学芸員の方から『創垂可継』の(封域郷村)欄を紹介してもらいました。

隣接する大雄寺、国の重要文化財指定の茅葺(かやぶき)伽藍で総門と回廊は現在葺き替え修理中です。工事費1億4千万円は国が7割です。

見事に気持ち良く仕上がった回廊の屋根。

内部から見上げる、なかなかの見ごたえです。

黒羽藩大関氏代々の墓地。殿様は死んでも偉いのです。

十一代藩主、大関増業(ますなり)の編著の一つ『創垂可継』、これは公刊された柏書房の本。

この本で黒羽藩領地であった那須山を調べたが略図はあるが詳しい山名地図は載っていません。多分御領地(天領)であったせいでしょうか。