Entries from 2009-03-01 to 1 month

仏を彫る

おととい元青木航空のセスナ機 (JA3014) の方向舵ペンキを剥いでみました。 画像は水で洗った後の表面の状況です。 ギラギラとジュラルミンの肌が輝き57年前の姿が現れました。 仏様を木の中より彫り出すとは違いますが、何やら青木航空の魂をよみがえらせ…

(元)青木航空のセスナ機復元

NPO立航博の事業の一つに飛行機の復元も入っています。 今日やっと念願のセスナ機 (JA3014) のペンキはがしに取り掛かりました。 画像は準備したペンキはく離剤と軟化し浮き上がったペンキを除くササラ、木へら、その他必要品です。 まず、飛行機の後ろ…

日本で見かけたセスナの軍用機

今日の立川は真っ青に晴れていた空が、みるみるうちに曇り真冬に逆戻りし雪もちらつきました。 12:11横田基地滑走路を南に向けてセスナのサイテーションとおぼしき (主翼に後退角の無い500シリーズか?) 双発ジェット機の通過がありました。 さすが…

♪昔恋しい立川シネマ、あだな姿を誰が知ろ

今日は立川市内まで歩行訓練をかね用足しに行ってきました。 およそ1時間10分の道のりでした。 玉川上水の分水に沿って進み途中から立川基地西のフェンスの前を通り国営昭和記念公園の南に出ます。 森になってしまった元米軍基地の中に当時を語るボイラー…

We few wow, wow, wow !

タイトルの意味不明の英語は今日横田基地の中から聞こえてきた音声です。 “ ウィーヒュ~、ワォ、ワォ、ワォ” 何だ何だと見ていると森の影から出てきたボンネットタイプの救急車がサイレンを鳴らし東地区にある病院へ走って行きました。 アメリカの救急車は…

横田基地 10:20

今日は緩い上昇角度で懐かしのダグラスDC-8ジェット輸送機が横田基地の滑走路を南に離陸していきました。 やはり見とれてしまいます。 平面形の美しさは勝るものは無いと思います。 しかし、横田でいつまで見ることができるでしょうか。 画像は日本航空初…

NPO立航博・キネマ劇場

きのうの晩テレビの 「ザ・シネマ」 チャンネルで52年前のアメリカ映画 『翼よ!あれが巴里(パリ)の灯だ』 を観ました。 映画の本題となった飛行機名(セントルイスの魂)は映画を見て名づけた理由が分かりました。 画像はNPO立航博の収集資料、ワー…

60年の隔世

今日はお昼の歩行訓練で昭和の森ゴルフコース北端を流れる玉川上水の土手道を歩いてきました。 クヌギ、ケヤキ、小ナラ、ミズキ、サクラなど巨木に近い太さの木が沢山並んでいました。 この南奥は昭和飛行機(現在も同じ)があり、今から60年以上前ここで…

元青木航空のセスナ170B (JA3014)

今朝の立川は昨夜の強風も止み、ほっとしたところウグイスの半鳴きが聞こえました。 きのう横田基地に飛来した4機のF-15戦闘機の姿は既に無く、雨雲が垂れ込むなか、航空灯台の緑と白色の光がピカリ、ピカリと回っていました。 さて、元青木航空のセスナ…

飛行機の復元時間

画像は11年前の飛行機雑誌 「AIR CLASSICS」 です。 表紙は米海軍チャイナレーク射爆場に奇跡的に残っていたボーイングB-29爆撃機です。 射撃訓練の標的に使われていましたが、ほとんど原型を保っていたようです。 レストアを望む人の努力がかない、つ…

セスナ170のレストア

57年前に当時の青木航空がアメリカから輸入した4人乗りの小型飛行機、セスナ170B型(JA3014) のレストアを思いたち情報の収集を始めました。 今日はアメリカの部品店からセスナの古いロゴマークのデカール (写し図) が届きました。 これの上…

横田基地の軍民共用化

横田基地に民間のターミナルができるかどうかについてお尋ねがありました。 地元でも良く分かっていないのが現状です。 石原東京都知事が初当選した時の選挙公約の一つが横田基地の民間利用でした。 既に10年近く経ちましたが結論は出ていません。 米軍、…

飛ぶ仲間 :彗星と彗星風

画像は東京の靖国神社遊就館内に展示されている旧海軍、艦上爆撃機・彗星(すいせい)です。 本の写真などで見て何とも不恰好な飛行機と思っていました。 ところが実機を目の前にしたら凄い迫力です。 これで戦争をしていたのかと少なからずショックを受け考…

風雲横田城

画像は今は無き横田城天守閣 (旧管制塔) と直ぐ西にあった本丸御殿 (旧日本陸軍航空審査部)。 共に老朽化軍勢に攻め落とされたか? 下は城主の居間 (亜米利加人司令官使用時) 陸軍航空審査部について書かれた本は 渡辺洋二著 『未知の剣』 /陸軍テスト…