思い出横丁

 ≪ほっとするね 思い出横丁≫のうたい文句に引かれ新宿の通称 【ゴキブリ横丁】 に10年ぶり行って来ました。 真夏のような暑さ、駅から向えば既に横丁はどの店も満席状態、目指すウナギの串焼き屋 『カブト』 で
すさずビールを注文、続いて通みたいに店のおやじに “一通り” と言えばウナギのエリ、ヒレ、レバなど7種の串が順次でてきます。 骨などガリガリと噛み砕きながら店の奥を見れば若いお嬢さん方もガリガリ、ムシャムシャ。
赤提灯は客層の多様なところにが面白い、ニッカーをはいた土方さん、学者然とした初老の男性、今泥棒をしてきたみたいな落ち着きの無い形相の人などなど。 飲む人間に何の差の無い良い空間なのです。
店のおやじが渋のあせたウチワでパタパタと串を焼きながら扇ぐこのリズム感、七輪で火を起こされ透けるようなオレンジ色になった備長炭?を継ぎ足しまたパタパタと・・・・・                                   ≪うなぎ屋は 団扇(うちわ)で美味さを たたき出し≫ だそうです。
暖簾の外で待ち客が増えたので次は 『埼玉屋』 ここでは焼酎を頼みヤキトリは  “カシラ、タン、ハツ、塩でっ! ”  ところで10年前カシラは脂身の串でしたが今はどこの赤ちょうちんへ行っても硬肉を出されます。 何故変わってしまったのでしょう?
赤提灯では聞き上手に話を伺えば初対面の人からいろいろと話を聞くことが出来ます。 
 “朝鮮戦争の特需で日本のある鉄鋼大手は米軍に大砲の砲身を納入、補給業務を行っていた所沢の米軍より  戦地へ送られた”  “武器輸出無原則、戦後復興のため何でもありだった”
また、若い頃アメリカのカルホルニア州フレズノのブドウ農園(フレズノではSUN-MAIDレーズン社が有名)でメキシコ人と一緒に最低賃金で働いていた人の話は
 “給料日一日前に取締官が来て不法滞在者は拘束された。 多分農園の事業主と警察がグルになっていたと  思われる。 この場合給料は貰えず本国送還となる” 
 “自分のいたブドウ栽培農場はまだ正に 【怒りの葡萄】 の舞台そのものだった”
 “日系1世、2世までは神棚と共に明治天皇の写真を飾り、全く昔の古き良き時代の純粋な日本人を見る思い   だった” 
他にも沢山話してくださいました。
 
思い出横丁に行く前はというと・・・
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 来年で創立100年を迎える日活の本社ビルです。 石原裕次郎さん主演映画に使われた青木航空のセスナ機について調べに行きました。
担当の方より当時(52年前)の映画紅の翼 の貴重な写真を見せて頂きました。イメージ 2
 山手線恵比寿駅近くにある 『防衛研究所』 ここの図書館へたまに行きます。 ここが編纂した 『大東亜戦争戦史叢書』 などと共に膨大な史料を収集保管しています。 しかし無いものは無いのです。 終戦間際に焼却廃棄されたものが沢山あったと思われます。