那須温泉 湯本の今と昔

 その昔、那須岳の温泉地に占勝園という広大な公園があったそうな。大きな池もあり、眼下には那須野が原が広がる景勝地であったが・・・

  《風光景勝を占める》

今は往時の姿を探すことは難しい。

五千坪あった敷地の一部はホテルの駐車場と化し、当時の面影はない。

昭和初期荒れてしまった公園を実業家・政治家であった中島知久平氏が再整備し庭園に復活させたとある。

画像は群馬県太田市の金山に立つ中島飛行機製作所創始者である中島知久平翁の像。

中島飛行機は飛行機の総生産数25,935機、内零戦は約6,500機生産し、設計した三菱より其の数は多い。

ということで那須野ヶ原には那須野飛行場を含め飛行機関連の歴史があります。

 

会津中街道 山歩き旅

昨日と今日にかけ〈会津中街道 旧道発見記念イベント〉(主催:会津中街道交流実行委員会)が開催され那須地人会も参加し旧街道を巡ってきました。途中、下郷町森林組合職員の方からはカラマツ林を天然林へ誘導する取り組みを現場で紹介して頂きました。

代1日目の宿泊は三斗小屋温泉の大黒屋さんです。 夕食後夜楽会と称するシンポジウムがあり《三斗小屋の夜ばなし》《古文書による街道の紹介》《那須山岳信仰》など大変勉強になる内容でした。

2日目の山中で食べた大黒屋さん手作りのおにぎり、懐かしい経木に包まれていて、とても美味しく頂きました。

主催者の方へ今後の活動を期待するとともに楽しい2日間を過ごしましたことを感謝いたします。.

那須高原・丑寅市

今日、那須高原で『丑寅市』が開かれました。NPO立航博は九尾の狐型・紙飛行機を子供たちと作りました。

九尾の狐型・紙飛行機を作ります。

今回はお馬さんも参加しました。これには皆びっくりです。

可愛い九尾の狐も登場。

特設のプール、子ども達は大はしゃぎ。

やはり、これがなけりゃ那須高原ではないねぇ。主催者の棟梁が弾くバンジョーの音が響き渡ります。

ということで、子どもさんも試し弾き・・・いい音出てるよ。

恒例のスイカ割り・・・えいやっ!で外れです。

割れたスイカをみんなに分配。

とにかく楽しくおかしいのが『丑寅市』の特徴です。笑いが絶えません。

次回は10月1日(日)の予定です。子供たち沢山来てください。

会津中街道 旧道発見!

会津中街道の旧道が那須岳の奥深くに発見され、そこを巡るイベトが9月13,14日に行われます。13日は秘境地、三斗小屋温泉の大黒屋で泊りフォーラムも予定されています。

那須岳、白湯山信仰の地『御宝前』です。今回はここも予定に含まれています。

温泉が湧いています。ここへのアクセスは沢筋を濡れながら登ります。

 

このイベントの詳細は『会津中街道交流実行委員会』にて

 電話 0241-67-3514

 携帯 090-7320-0472

那須野で紙飛行機を飛ばす

今日、栃木県那須塩原市の青木小学校校庭で『青木コミュニティ夏祭り』が行われNPO立航博は子供たちと九尾の狐・紙ヒコーキを作り飛ばしました。

始まる前です。九尾の狐がお出迎え。

反対方向から。

今回は那須野の航空史の紹介も行いました。

紙飛行機を子供たちが作ります。お父さん、お母さんも手伝います。

みんなで飛ばします。

  《子供たち、ありがとう、また飛ばそうね》

那須野で夏祭り

明後日19日の土曜日、那須塩原市青木小学校の校庭で『青木コミュニティ夏祭り』が開催されます。

盆踊り大会の他、盛りだくさんの催しがあり、那須地人会では子供たちと一緒に九尾の狐・紙飛行機を作って飛ばします。

  《こどもたち、たくさんきてね》

那須野の航空史

今から78年前の今日、日本敗戦2日前の昭和20年8月13日夕刻6時30分、陸軍那須野飛行場を飛び立った神鷲201特別攻撃隊鹿島灘沖に迫った敵艦隊へ爆弾を抱いて突撃しました。これは日本軍最後の特攻隊とされています。

小川満中尉、横山善次少尉、藤田重喜伍長(階級は突撃時)の三名が散華されました。

栃木県那須塩原市埼玉(さきたま)に立つ『那須野陸軍飛行場跡』碑

碑文には『特攻』の文字が読み取れます。今日は三人の御霊に地元の酒『天鷹』をお供えしました。

特攻機と同型機『屠龍』の模型です。

 

78年経って、地元でもここが飛行場だったと知る人は少ないのです。

お参りする人もいません。果たしてこれで良いのでしょうか・・・。