ボーイングB-29爆撃機

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今から63年前、東京を爆撃にきて、立川上空で撃墜されたアメリカ軍のB-29爆撃機の墜落を見た人(当時16歳)の話を聞いてきました。・・・記憶の違いは多少あると思います。
「1機は(昭和20年1月9日)快晴の立川飛行場北東上空、編隊より遅れ高度も低いB-29に対し日本の戦闘機が左主翼に体当たり、パッと砕け散った機体はキラキラ・チラチラと細かい銀紙のように広がりながら落下しとても綺麗だった」
「この時は、技研(立川飛行場の西にあった陸軍航空技術研究所)の田中中尉も傍でこの様子を双眼鏡で眺めていた」
「体当たりを敢行したのは調布飛行場から迎撃に上がった三式戦・飛燕に乗った(陸軍飛行第244戦隊所属)高山(正一)少尉でこの時は落下傘で無事小金井に降りた」
このB-29は国分寺の北へ墜落。
 
「別の1機は(昭和20年4月24日)砂川(現・国立音楽大学)と小平の一番(現在西武自動車教習所付近)にバラバラに墜落、尾翼部分は立川五番の農家の豚小屋脇に落ちた。見に行ったら巨大な垂直尾翼にたまげた、ローマ字が書いてあった」
「このB-29も高度が低く村山、南多摩と立川三番にあった高射砲のどれかが当たり墜落した。ブリ撒かれた爆弾の一つが玉川上水に落ち爆ぜた」
「この時は8千しか届かない高射砲が当った」
以上、NPO立航博が行った当時を知る人の聞き取り調査ですが現在では非常に難しくなっています。
画像は韓国,ソウルとアメリカ,カリホルニア州チノのボーイングB-29爆撃機