飛ぶ仲間 :戦闘機・疾風(はやて)

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今から60年以上も前、疾風(はやて)という日本の誇るプロペラ戦闘機が中島飛行機で造られました。 唯一残っていた疾風が1959年のアメリカ映画 「Never So Few」 に出演しているというので観てみました。 ほんの少し地上を走るシーンがありますが大変貴重な映像だと思いました。 この疾風は現在鹿児島県の知覧特攻平和記念館に展示してありますがそのてん末は甚だ不可解なものでした。 飛行可能で里帰りしたこの飛行機の翼桁を切断したとかどうのこうのとの話はありますが何故その議論の前にこの国宝級の飛行機を然るべきところへ保存できなかったのでしょう。
先日、平成13年8月19日付の 「知覧の疾風に関する訂正記事」をネットで見ました。 宇都宮に置かれていた個人所有の疾風に対し富士重工では旧中島飛行機製造機ということもあり保管にかなり尽力されたようですが購入するには至らなかったのでしょうか。 当時はまだ中島飛行機で活躍された重役の方もおられたと思います。 
これに関し富士重工の顧問をなされていた方(旧日本陸軍飛行第20戦隊長を務めた)より組合の問題と聞いたことがあり、これは技術屋集団の人たちが反対する訳が無く全くのこじ付けと思いました。
その後疾風は京都で展示されますが 「コンバット・マガジン」誌1983年7月号には動翼を中立に保つためか太い針金で操縦桿をグルグル巻きに縛り固定した写真が載っています。 アメリカでこの疾風を廃棄より救出し長く保存していた元のオーナーの嘆きはいかばかりでしょうか。 
悩める飛っ爺の疑問は続きます・・・・・。