お爺さんの想いで

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

調布飛行場北の街道沿い農家の入り口に時々お爺さんが座っていました。 そこに背の高い門柱が一本だけあり中島飛行機三鷹研究所からの飛行機誘導路の飛行場入口門柱と思いました。 そこでお爺さんに当時について話を聞くと、 ある時中島知久平さんが部下を連れお爺さんの家を訪れた際、 部下の人が作物を干しているゴザを踏んでしまいました。 すると知久平さんはその部下を強く叱ったそうです。 農家が精魂込めて作った作物を間違ったにせよ踏んだことについてその不注意を咎めたのです。 その話をしてる途中でお爺さんは、感極まって泣き出してしまいました。 オジさんは当時の世相を良く知らないのですが中島飛行機の創設者中島知久平さんの人となりをほんの少し分かった気がしました。 

画像は上から旧中島飛行機三鷹研究所本館(現:国際基督教大学本館、元の3階建てを一部4階に改造)
下は戦後、中島知久平さんが暮らした泰山荘。
一番下は都立野川公園から泰山荘方向を望む風景、崖の下より湧き水が野川へ流れている。
 
注)中島飛行機 : 元 日本の航空機製造を代表する会社、数々の優秀な機体、エンジンを開発。