立川飛行場

 オジさんは風邪を引きのどが痛くセキと鼻汁も出てもう一週間です。 幸いなことにインフルエンザと違い熱が出ないのでこのまま収束しそうです。 しかし体力の衰えを感じてしまいます。 
 ここNPO立航博のある立川市には創設以来88年間続く飛行場があります。 先の大戦後は米軍の駐留するところとなり当時はかなりの場面でアメリカを嫌がおうにも意識づけられました。 それらの情景を含む立川を写真に残された方と二世代若い方が写真集を出版しました。
 
 『立川の風景/昭和色アルバム』 寺澤昭二・写真/鈴木武・編集  発行 : けやき出版
 
 内容で興味深いのは当時の庶民風俗、特に英字看板の多い基地前商店街の仮装行列などは思わず笑ってしまう和やかさ、現代人の忘れてしまった? 和を重んじた日本人の姿が写されています。 
 さて、飛行機は2カット紹介されていますが、その一つ4発爆撃機改造の ボーイングB-17H】 が2機並んでいるのは貴重な写真です。 キャプションが無いので詳細は分かりませんが当時の厳しい基地内での撮影は想像するのも難かしくMP (Military police/米軍憲兵) に良くぞ見つからなかったと思います。 
型は機首下の砲塔に換わり捜索レーダーを装備、お腹の下には救命ボートを抱えています。
戦時中、南のマリアナ諸島から日本を爆撃するため飛び立ったB-29爆撃機が途中不時着水した時、乗員を救うためB-29を同様に改造して使用したとは本で見たことがありますがB-17にもあったとは知りませんでした。
しかし戦後のしかも立川飛行場の米軍にこのような飛行機の使い道はあったのでしょうか。
 
 画像右の小冊子は地元 【立川飛行機】 に昭和13年8月入社した人の書かれた回顧録です。            ≪昭和十九年の夏には陸軍の戦闘機 「キ-43」  の第一組立工場・第四工程に班長として入り月産は三    百機を数えるまでに至った≫
以上の3冊は最近入手したNPO立航博の蔵書です。イメージ 1