立川飛行場

 村興しにはその土地の特徴を打ち出しあまねく世の人々に知ってもらうことが肝要です。 人口が減少傾向の現在いかに人の動きを確保するかが今後各地での命題となります。  「日本一」 というタイトルを掲げられれば万々歳、我が立川市には日本一長い飛行場の歴史があります。 かつては航空技術研究所があり朝日新聞社の 「神風」号 が勇躍ロンドンへ記録飛行に飛び立った地でもあります。 この類まれな航空史を村興しに利用しない手は無いのです。 
日本中が歓喜にあふれ人々に夢を与えたこの 「神風」号の快挙を今日再び検証し飯沼操縦士、塚越機関士の立像を将来の立川航空宇宙博物館に飾りたいと思います・・・・・(NPO立航博にはお金がありません。 朝日新聞社さん、どうかお願いいたします)
 さて、画像は先日聞き取り調査に行った際頂いた小冊子です。 これは戦前、戦後の25年間立川飛行場に関係された方 (現在92歳) の回顧録で飛行場史を語れる人がいなくなった現在、特に駐留米軍の飛行機整備についての記述は大変貴重なものです。 《当時既に米軍はマイクロフィルムを整備に活用していた。 彼我の大きな差にショックを受けた。 手掛けた米軍機はF6F,P-38,B-17,B-29,C-47,C-124,T-33,F-86他、多種多様にわたり修理した》                                                     以上はNPO立航博が行った今年度初の聞き取り調査です。
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