#歴史

≪芸術は爆発だ!≫

ついにNPO立航博の飛行機魂が芸術爆発、その様は中性子星の大爆発にも似て、意気軒昂なところ余星をもって代えられぬなり・・・・・線香花火とは違うなり。 実は毎終末、打ち上げられる西武園遊園地の花火なのです。 下の画像は芸術にも現れたボーイング…

75th Anniversary of B-17

とまた英語にかぶれてのおタイトル。 実は東京昭島にある 『ラウンジ・ダコタ』 でダグラスDC-3型爺さんの75歳誕生を祝って飲んでいたら・・・・・ “ おい、おい ワシらも75歳じゃ、忘れては困るD爺とE爺がフィリッピンで日本軍の捕虜になり立川飛…

大東亜共栄圏

NPO立航博はバーチャル戦争マニアでも軍国主義者の集まりでもありませんが、我国で開発された飛行機を固有の技術産物として捉え少しでも史料を発掘し次世代へ伝えて行きたいと考えています。 前回ご紹介した 『零戦21型』 はソロモン諸島バラレ島のジャ…

風に吹かれて

一人当たり2億5千万円の居心地はいかに? コソコソと逃げるからくり裏口付きだそうな。 最初だけ申し分けそうな入居者は三日もすればどこ吹く風、既成事実になってしまえば傲慢屋敷の権化と化すか。 以前 “ オレみたいな若造にもこんな馬鹿みたいな好待遇…

飛行機食い物

オジさんは今朝 『所沢航空発祥記念館』 にいた。 まず付属の食堂でライスカレーを食べながら外を眺むれば小さなゴム動力機が性能良く盛んに飛んでいるなり。 この広い芝生地はゴム動力機おじさん達のメッカか楽しそうです。 ライスカレーにはコロッケがのっ…

零戦の

デアゴスティーニ社販売 『零戦をつくる』 は縮尺1/16と比較的大きな金属性模型で100回に亘り販売される部品を組み立て完成させる大作です。 現在40回目だそうで模型つくりに慣れてないと厄介な思いもするようです。 既に製作続行を諦めたり、 “ ま…

加藤隼戦闘隊

今日は6月4日です。 陸軍飛行第64戦隊関係者の集まりである 『六四会』 が東京九段の靖国神社で開かれました。 オジさんも特別に参加させて頂きました。 隼戦闘機の話も出るなか、米軍最新鋭のF-22・ラプター戦闘機も話題となりました。 ステルス性が…

≪立證された日本の眞價≫

今を去る85年前の新聞に朝日新聞社の飛行機 『初風』 と 『東風』 の2機がヨーロッパ親善飛行を実施、 ≪世界に冠たる完全な成功≫ とその壮挙を称える記事を載せています。 今日の東京立川は山背のせいかどんよりと雲に覆われ肌寒くオジさんはジャンパーを…

立川飛行機

大正13年 『株式会社・石川島飛行機製作所』 の商号で創立した後の立川飛行機株式会社は現在 『立飛企業株式会社』 となり多角的に発展し業績を拡大しています。 かつて立川飛行機では陸軍の二枚羽練習機・赤とんぼを含む意欲的な飛行機を沢山製作しました…

立川飛行場

村興しにはその土地の特徴を打ち出しあまねく世の人々に知ってもらうことが肝要です。 人口が減少傾向の現在いかに人の動きを確保するかが今後各地での命題となります。 「日本一」 というタイトルを掲げられれば万々歳、我が立川市には日本一長い飛行場の歴…

ほうきをほうきしほうきに!

アメリカの国の旗 (邦旗) は星条旗ですが、米軍ではこれを放棄し箒に変えたのでしょうか? 1959年まで使われた48星のアメリカ国旗、その後ハワイとアラスカ州が加わり現在は50星です。 戦後、立川飛行場に米軍が進駐した時はまだ48星でした。 N…

横田基地の謎?

きのうは発明の日、新式腰巻を発明し年商2億円を稼ぐオバさんがテレビで紹介されていました。 マジックテープも主婦の発明とかでオジさんも無い頭を絞り何か売れるものを発明したいと思います さて、67年前の4月18日は旧日本海軍連合艦隊の山本五十六 …

NPO立航博の立航博的こころ!

≪春はあけぼの、ようよう白くなりゆく。 立川飛行場は少し明かりて・・・・・≫ 73年前の昭和12年4月6日、満開の桜の一枝を贈られ朝日新聞社の 『神風』号 は飯沼、塚越両鳥人を乗せ未明の立川飛行場をロンドンに向け飛び立ちました。 国産単発機による…

空の都

かつて立川は 「空のみやこよ 立川よ」 と立川小唄でも歌われ飛行場と共に発展してきました。 飛行場が開設されて既に88年と日本一の歴史を誇ります。 日本の航空史上最も画期的な冒険飛行は純国産機による朝日新聞社 『神風号』 のロンドンまでの大飛行で…

桜花とは

子どもの頃、米軍立川飛行場を離陸上昇する飛行機やエンジン回転を落とし着陸態勢に入る飛行機を眺め喜んでいたオジさんは現在も飛行機の姿にしびれていますが、最近は手と足にもしびれがあり時として急激な痛みを発生し先週はこの激痛で起き上がれずブログ…

航空雑誌

画像は古い航空雑誌3冊です。 左から「航空朝日」昭和17年6月号,「航空少年」昭和18年7月号,「世界の航空機」昭和27年6月号の各表紙です。 子供向けか?漢字にルビがふってある記事もあり模型飛行機の広告が多く見られるのも特徴です。 また難し…

旧機レストア

紅顔の美少年も58年経つと歳相応の劣化や錆びに覆われそれなりの修復が必要になります。 ところで飛行機は【She】 だそうで、いろいろな基準は船に倣っているとのことです。 さて、飛行機は朽ちても人の心はいつまでも新鮮です。 一昨日出席した 「藤田…

入魂式

今から58年前の昭和27年7月、東京立川の青木春男さんがアメリカのセスナ170型を3機購入しました。 (元)立川飛行機のテストパイロットであった青木さんは戦後全面的に禁止されていた航空の再開に備えあらゆる努力を傾注し、ついに航空機使用事業第…

航空自衛隊入間基地

先日、航空自衛隊入間基地隣りにあるレストラン「ニックス」へ行ったついでに米軍ジョンソン基地跡地も見てきました。 ホビーショップやボウリング場のあった米軍住居区域は返還され公園や学校施設に替り、隣の敷地では自衛隊の記念館が来年度の開館に向け準…

今年最後のハッピーニュース!

画像は有名なフランスの自動車 「ブガッティ」 です。 ブガッティは戦前、飛行機しかもレーサーを1機作りました。 ドイツがパリに侵攻して来たため初飛行は出来ずこの計画は放棄されました。 驚いたことにこの 『モデル100レーサー』 は戦後30年間ひっ…

飛ぶ仲間 : 馬

アメリカの2010年版カレンダーを入手しました。 来年のアメリカは午(馬)年か?、1月から12月まで全部馬の写真です。 この空飛ぶ馬の名前は第二次大戦のプロペラ戦闘機 「ムスタング (野生馬)」 です。 カレンダーの表紙はドミニカ空軍が近年まで…

リチャード・デリシャスりんご

オジさんは東京立川の昭和記念公園にいた。 65年前ここは航空技術研究所を含む旧陸軍航空の中枢施設があったところですが現在は全く想像も出来ません。 78年前にはミス・ビードル号がこの立川飛行場に飛来し、その後青森県より太平洋初横断飛行に飛び立…

プロペラのレストア

57年前の(元)青木航空のセスナ機復元を始め、現在垂直尾翼と主翼端カバーまで終わりました。 今回はプロペラです。 オリジナルの状態に戻するため、まずペンキを剥がし磨いてみました。 全面中央部に沢山の英数文字が打刻されています。 「McCAULEY IND.…

栄枯盛衰 その3

60数年前、ここ東京多摩地区の空は飛行機が沢山飛んでいたと思われます。 青梅線に沿って立川の陸軍飛行場、昭島の昭和飛行機飛行場それと福生の陸軍多摩飛行場(現在の横田飛行場)が近接していたので航空管制の無い時代他機の見張りはさぞかし忙しかった…

栄枯盛衰

今日はNPO立航博の会合があり昼食後、近くのラウンジ 『ダコタ』 へ足をのばしました。 ここは71年前 「昭和飛行機」 が創立したところです。 昭和飛行機はアメリカのダグラスDC-3輸送機を国産化し400機以上生産しました。 DC-3型の愛称の一つ…

海を渡った五つのリンゴ

今日6日は78年前、アメリカの飛行機 『ミス・ビードル号』 が青森県淋代海岸より飛び立ち太平洋無着陸横断飛行に成功した日です。 パイロットが機内で食べるようにと地元の紅玉リンゴ5つが積み込まれました。 ビ号は41時間後アメリカのウエナッチ飛行…

新旧ユニーク飛行機

今回はドイツの三日月型飛行機に続きユニークな形の飛行機です。 画像は垂直離着陸機、名前は 「Pogo・バネ付き竹馬」 の本とエンジン(プロペラ)傾け機 のパンフレットです。 芸術の国フランスには幻想が現実化したようなユニークな形の古典飛行機が残って…

陸軍三式戦闘機・飛燕 (ひえん)

先月の航空雑誌に旧日本陸軍のプロペラ戦闘機がレストアされている様子が載っていました。 読んでみると三式戦Ⅰ型がありニューギニアで発見されアメリカへ運ばれたもの・・・・・とすると30年前カリホルニア州チノ飛行場で見た飛燕に違いないと思いました…

セスナ機の機体カラー考証

57年前の (元)青木航空のセスナ170型機 (JA3014) に輸入時の色を塗ろうと思い国交省航空局へ2回、日本のセスナ代理店へ1回、アメリカのセスナ社へ3回、国際セスナ170協会へ2回、 製造番号と製造年月日を告げ機体外部に塗られていた色について…

元陸軍航空技術学校・睦会

今日、かつて立川飛行場東地区にあった陸軍航空技術学校、そこに関係された方々が年に一度集う 『睦会』 が開かれ出席させて頂きました。 残念なことに今回が最後の会でした。 年々出席者が減り今回は20名くらいでした。 お一人お一人に話を聞きたかったの…