75th Anniversary of B-17

 とまた英語にかぶれてのおタイトル。 
実は東京昭島にある 『ラウンジ・ダコタ』 でダグラスDC-3型爺さんの75歳誕生を祝って飲んでいたら・・・・・    “ おい、おい ワシらも75歳じゃ、忘れては困るD爺とE爺がフィリッピンで日本軍の捕虜になり立川飛行場へ連れていかれたじゃろうが ”   とクレームが入りました。 早速調べてみると第2次大戦の4発爆撃機B-17のDとE型がフィリッピン・クラーク飛行場で日本軍が鹵獲、陸軍立川飛行場に運ばれ各種性能試験が航空審査部で行われた様子、また昭和17年審査部特殊隊におられた人の記述ではこの時点で右脚が縮み翼が傾いての係留だったそうです。 もう1機は終戦時無傷のまま陸軍福生飛行場 (現横田飛行場) にあり、これは米軍先遣隊に摂取されたと思われます。                                                   さて、B-17爆撃爺さんのお祝い分も飲み、だいぶ酔いが回ってきたのでカーテンを開けてみれば・・・・・・・
 
 ≪♪窓を開ければ  港が見える (この場合、空港)   メリケン基地の灯が見える≫イメージ 1遠方はメリケン横田基地イメージ 2翼を休める4発の輸送機・・・B-17ではないのです。 イメージ 3
横田の飛行機、今と昔パンフ・・・・・戦後の9年間B-17爆撃機は展開していたのか。イメージ 4
鹵獲したB-17に搭載されていた搭乗員の装備品、明細な北海道の地図まであり・・・・・ではなくNPO立航博のコレクションなり 。