日本人の飛行機

 今回はアメリカの航空雑誌6月と9月号に載った 『疾風/はやて』 という日本陸軍戦闘機の記事についてです。
この飛行機の製造から現在までの経過を貴重な写真と共に紹介しています。
 戦争が終わり米軍の戦利品として集められた飛行機の中にこの疾風もあり、テストするため空母で運ばれ・・・云々。
特筆は、米軍のアーノルド将軍が全て2機ずつ国立航空博物館のために残す計画を指示したこと (次世代へ遺すため)
集められ沢山の飛行機はイリノイ州パークリッジ (現・シカゴオヘア空港) のダグラス飛行機工場の倉庫に保管。 
この中には立川飛行機の Ki-94 高高度戦闘機もあったようですが・・・・・朝鮮戦争が始まると集めた機体は直ちに外に出されてしまった。 幸い疾風はカリホルニアのエド・マロニーさんに買い取られ生き延びることができたが、その後 零戦を復元するため売却せざるを得なくなり、日本人が購入。 この時点では飛行可能状態、それからの顛末はひどい仕打ちが続き、目を覆う状態に晒されました。

  結論 : ≪疾風は生まれた母国 日本に戻すべきではなかった≫ イメージ 1
 画像のDVDでは、この疾風が地上走行する貴重なシーンが観られます。