飛ぶ仲間 : 紫電改・その2

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 夏休みにアメリカへ行ってきました。 お目当ては飛行機だけでなくチリビーンズ・ホットドッグとアイスクリームです。 生ビールのお替りは昨年600円、今年は800円と年々高値をつけていてこれで推移すれば米軍の株は薄商いで下がり、お世辞にも美味しくないステーキも大暴落するでしょう。
とまぁ、20(日)横田基地友好祭/米軍商魂祭?へ行った感想です。
さて、帰る途中ヒコーキナットのやまちさんが教えてくれたエコサイクルショップに寄りショーケース内の紫電改を見てきました。 1/18サイズの見事な出来ばえで正に博物館展示物です。 この大きさですと実機をイメージさせ今にも直ぐ乗りこみ飛び上がりたい衝動に駆られます。 しかし興ざめを申してすみませんが、お値段は52万5千円也・・・・・。
今回の画像は三四三空 ・ 剣部隊関係者の方々により昭和56年2月に編集された 「三四三空隊誌」 です。
内容については後日とし、前回のNHK特別番組 「紫電改・最後の戦闘機」 中、終戦直後三四三空が自らの手でまとめた戦史資料を記させて頂きます。
『戦史資料・剣部隊』
我が飛行隊は敵の心胆を寒からしむることしばしばにして敵機撃墜約170機に及び武勲顕著なるも各戦闘機隊長善戦健闘遂に戦死し計87名の搭乗員を失えリ。 また戦訓所見の項で当時の軍部中央を率直に批判。 番組の中で当時の飛行長であった志賀淑雄さんは 「皆やらなければならなかった」 と述べています。
この言葉に全てが内包されていると思います。 紫電改は約400機製造され戦争末期の切り札として最後の最後まで戦い8ヶ月の短い命を終えました。 番組では34年ぶりに海から引き揚げられた紫電改が戦争そして平和について様々な思いを見る人に与え続けるに違いないと結んでいます。
注)文中カタカナと思われるところはひらがなにしました。