NPO立航博の敵

 毎年8月15日が近づくと戦争映画がテレビで放映されます。 先日 『眼下の敵』 という潜水艦と駆逐艦の戦いを画いた映画を見ました。 最後に艦長同士が顔を合わせ互いに敬礼する見せ場シーンがあります。 潜水艦映画の古典か、マニアでなくとも感動します。 では(下)の海でなく(上)の空はというと邦題で 『頭上の敵機』 という映画があり部下の階級を上げてやるシーンなど見せ場の多い内容でこれも飛行機映画の代表的傑作と思われます。 
先の大戦が終わり日本は国が破れ屈辱的な無条件降伏を受諾して67年だそうです。 まだ世界では各地で戦争が続いていますが、おとといホルムズ海峡で日本のタンカーが米海軍の艦船に突っ込み大破させたと報道していました。 オスプレイの配備で問題が起きている中、67年ぶりに鬼畜に特攻を敢行し一矢を報いた・・・ “良くぞやった、ざまあ見ろ” と思った人も少なくないと思います。 しかし弱腰日本は何時までも周りの国からなめられっぱなし、なめられて気持ちいいのかその挙句思いやり予算を差し上げて(米兵一人当たりにすると2千万円とか) これじゃピンサロでカネ出してなめてもらってる中年オヤジよりまだ悪い。
さて、立航博の敵はというと (敵は本能寺にあり)、即ち直ぐ身近にあるのです。 慢心した飛行機一言居士や歴史に学ばず、そして伝えることを忘れたインポヤポニーなど一歩外に出れば7人の敵どころではなく数限りなく現れます。 
  ≪♪敵は幾万ありとても、すべて烏合の衆なるぞ・・・・・≫
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 今日、8月14日はどうしても皆さんにお伝えしたい飛行機があるのです。 画像は模型ですが実機は67年前わが町の飛行機メ-カー立川飛行機でたった1機製造された日本陸軍戦闘機キ94です。 高い高い高度を飛んで日本本土を爆撃に来る米軍の爆撃機を撃墜する目的で造られました。 先の戦争が終わる前日の14日完成しいよいよ初飛行という時に翌15日の終戦を迎え飛ぶ機会を失ってしまいました。 あと1日ずれていれば恐らく初飛行は行われ開発者や製作に携わった人の溜飲も下がり一満足できたことでしょう、しかしそれは叶わずでさぞかし無念であったと思います。
この飛行機は主任設計者の長谷川龍雄さんが考案したTH翼という層流翼が採用されていました。 この効果を試す術もなく進駐してきた米軍に接収され米国へ運ばれていきましたが彼の地でテストされたかは分かりません。 当時米軍では既にジェット機の開発に入っていて敵国プロペラ戦闘機には得るべきところが無いと判断したのか? 実機は残っていませんが、もしかしたら国立公文書館に飛行実験データがフィルムと共に残っているかも知れません。
なぜかというと【誉】というエンジンも戦後何年か経った後でデータ取りがアメリカで行われているのです。
ここで、前にもブログに載せましたが、再度書かせていただきます。 以前キ94の設計者、長谷川龍雄さん宅を訪ね開発についての話を5時間近く拝聴させて頂いたことがあります。 戦後日本の航空産業は閉ざされ止む無く当時のトヨタに入社されカローラなどを開発し重役になられた方ですが、あれだけの飛行機を設計された思いは強く最後に私は飛行機屋ですと仰られた時は日本の優秀な飛行機屋の自負とプライドを感じました。
ご自身の本ではキ94を開発した時の心境はと述べられています。
 
   《侍のいた立川に国立航空宇宙博物館の建設を》