何を顕彰し伝えていくか

 昨日、那須塩原市役所を訪ね市内の埼玉飛行場跡地に遺る格納庫支柱の保存について尋ねてきました。 そのついでに再び当該地を訪れてみました。イメージ 1
 解体が始まっていました。 手前に並んでいた12本の格納庫基礎支柱は既にバラバラになり横たわっていました。イメージ 2
 北側の12本の支柱はまだ残っていました。 前回調査した時はうっそうと灌木に覆われ良くわかりませんでしたが、全て木も草もて取り払われてその実の姿が良く把握できました。 敷地面積はかなり広くどのような構造の格納庫であったか思いを巡らせましたが、調べるすべがありません。 
前回でも述べましたが、此の地は旧日本軍による最後の特別攻撃隊が昭和20年8月13日(敗戦の2日前)出撃した飛行場です。 敵艦船に体当たり敢行した機体は2機、3名の若き搭乗員がお亡くなりになっています。
この事実を伝えていかなければなりません。 そのためにも支柱1本でも残すことはできないのでしょうか。